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東京高等裁判所 昭和54年(う)988号 判決

被告人 大塚清一

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人金田善尚、同角尾隆信、同久々湊道夫連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事長尾喜三郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一、控訴趣意第一点(訴訟費用の負担の裁判に対する不服を申し立てる部分を除く。)は、業務上過失傷害の事実につき、訴訟手続の法令違反を主張し、原裁判所は、昭和五三年一二月一九日、訴因の追加変更を許可し、追加された訴因についてのみ有罪と判断したが、検察官は、同五一年一〇月二二日の第一回公判期日において、弁護人の求めにより、本件事故の原因として、被告人が本件バスにチエーンを着装しなかつた過失及び踏切通過の際、加速して一気に通過すべきであつたのに、これをしなかつた過失のみを主張するものである旨釈明したにもかかわらず、これと内容において全く関連のない過失を内容とする訴因の追加変更を突如請求したものであつて、右請求は、訴訟上の信義に著しく反するのみならず、第一回公判期日から二年余を経過し、検察官、弁護人双方の証人尋問をすべて終り、被告人質問を残すばかりとなつた段階で行なわれたもので、被告人の防禦を著しく侵害する違法不当なものであつて、原裁判所は、右訴因の追加変更の請求を許可すべきでないのに、これを許可し、かつ許可した訴因に基いて有罪を宣告したのは、刑事訴訟法三一二条の解釈適用を誤つたものであるなどというのである。

よつて、記録を調査して検討すると、原審における訴訟の経過は、おおむね所論のとおりであつたことが認められる。ところで、原審証人大道寺達の供述によると、積雪時における自動車の安全通行に関する工学的研究は、昭和四八年ころまでは未熟であつて、本件事故の発生や原審公判の始めの前後ころから、ようやく研究が進んだことが認められるから、検察官が、積雪時における鉄道踏切上のバスの立往生事故である本件について、車輪にチエーンを着装すべき注意義務及び加速して踏切を一気に通過すべき注意義務に関する過失を、原審における審理の当初に主張したことが、必ずしも研究不足あるいは職務怠慢であるということはできない。そして、記録によれば、検察官が、当初の訴因によつては有罪判決を期待し難いことを覚知し得たのは、原審第一九回公判期日(昭和五三年一一月七日)に証人下田茂(新潟大学工学部教授)の尋問を終えた段階であると推認されるのであつて、そうだとすれば、検察官が第二〇回公判期日(同年一二月一九日)の前に、前記のような訴因の追加変更を請求したことが、訴訟上の信義にもとり、ことさら訴訟を遅延させ、被告人の防禦権を危くしたということはできない。してみると、当初の訴因と追加変更された訴因における過失の態様が全く異ること、訴因の追加変更の請求が、原審審理の終局近い段階でなされたことを考慮しても、原裁判所が右訴因の追加変更を許可したことが、刑事訴訟法三一二条の解釈適用を誤つたものとはいえない。なお、記録を調査しても、原裁判所が、追加変更された訴因に関して、被告人、弁護人より反証提出の機会を奪つたとうかがわれる形跡は、全く見当らない。

所論は、変更前の訴因を前提として尋問された証人の供述や、同意された書証を、変更後の訴因に基いて有罪の認定をするための証拠として無条件に援用することは、被告人の防禦権を侵害するという。しかし、訴因変更前に適法に取り調べられた証拠を、変更後の訴因に基く有罪の認定に用いることが違法であるとはいえない。また、訴因変更後に、弁護人が、これら供述者をあらためて取り調べるよう申し立てた形跡も、記録上うかがわれない。

原審の訴訟手続には、所論指摘の法令違反はなく、論旨は理由がない。

第二  控訴趣意第二点は、業務上過失傷害の事実につき、法令の解釈適用の誤りを主張し、原判決は、踏切内においてバスが脱出不可能となつたときは、自動車運転手としては、速かに乗客を誘導して踏切外に退避させ、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人がこれを怠り、乗客が被告人に続いて下車し退避してくれるものと軽信し、乗降口を開いて、一部の乗客に声をかけて避難を促したが、乗客が退避するのを確認せずに、あわてて踏切支障報知機の押ボタンを押すためにバスから離れ、乗客全員を踏切外に誘導避難させなかつた過失がある旨認定判示しているが、道路運送法三〇条に基く自動車運送事業等運輸規則三四条一項七号によれば、事業用自動車の運転者の遵守事項として、「踏切内で運行不能となつたときは、すみやかに旅客を誘導して退避させるとともに、列車に対し適切な防護措置をとること」と規定され、バス乗客の誘導退避と踏切支障報知機による列車に対する防護措置が同時的に義務付けられているにもかかわらず、原判決が、一方的に誘導退避を優先すべきであるとし、被告人が非常ボタンを押しに走つた行動を、あたかも義務違反であるかのようにいうのは、右法令及び刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであるというのである。

自動車運送事業等運輸規則に所論指摘のような規定があり、旅客の誘導退避と列車に対する防護措置を、同等の重みをもつて義務付けていること、しかしながら、右各義務を履行すべき時間的前後については特に定めていないことは、これを認めることができる。しかし、事業用自動車の運転者にとつて、乗客は直接自己の管理下にある者であるのに対して、列車はそうでないこと、乗客は常に必ず直ちに退避させなければならないが、列車はたまたまその時点で踏切に接近していないこともあること、踏切付近にいる他の者が非常用ボタンを押してくれることもないではないことなどから考えれば、条理上乗客の誘導退避を先ず行うべきことは当然のことと思われる。もつとも、事業用自動車に車掌がいる場合、乗客が団体旅行者であつて、添乗員が乗客の誘導退避の任務を引き受けてくれる場合などは、この限りではあるまい。当審証人石川博の供述によれば、運輸省においても、乗客の誘導退避を原則として先ず行うようバス事業者に対し指導していることが認められ、また、原審証人佐藤恒治、同和田茂雄、同真貝政博、当審証人渡辺勇吉の各供述によれば、被告人の所属する越後交通株式会社においては、本件事故の前から乗務員に対し、踏切内でバスが運行不能となつたときは、まず乗客を誘導退避させ、その後で列車に対する防護措置をとるよう指導していることが認められる。

なお、原判決は、バス乗客全員を降車させ、踏切外に誘導し終つたことを確認したのちに、非常ボタンを押すべきであるといつているものでないことは、判文上明らかである。乗客中に病人、老人等がいない場合には、乗客全員が立ち上るなどして、退避の指示が周知徹底されたことが確認できれば、運転者が、乗客の下車を待たないで、押ボタンを押しに赴くことが、時機にかなつた措置と認められることもあろう。原判決に独自の解釈を施した上に立つ所論は、その前提において誤りといわなければならない。

原判決には、所論指摘の法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

第三  控訴趣意第三点は、原判決には理由のくいちがいがある旨主張し、業務上過失傷害の事実につき原判決の判示するところによれば、原判決は、被告人が乗客の退避を確認してから後に押ボタンを押しに行つたとしても、第一閉そく信号機が赤を現示し、列車の機関士がこれに気付いて安全に停車することができたことを前提として有罪を認定しているものと解せざるをえないが、そうだとすれば、被告人が本件で乗客の退避を確認する前に押ボタンを押したことにより、列車が第一閉そく信号機を通過する前に、右信号機は赤を現示していたものと認定すべきが当然の帰結であるはずであるところ、それにもかかわらず、原判決が、列車の機関士が第一閉そく信号機の赤現示を見落したか否か断定できない旨説示しているのは、明らかに論理の矛盾があるというのである。

しかし、原判決は、被告人が乗客の退避を確認してから後に押ボタンを押した場合、列車が第一閉そく信号機を通過する前に同信号機が赤現示となることを、当然の前提としているものとは解せられない。バス運転者が乗客の退避を確認するのに、少くとも通常数秒間以上を要するものと考えられるから、被告人が乗客の退避確認後に押ボタンを押したとすれば、被告人が本件で現に押ボタンを押したのに比べて、ボタンを押す時点が数秒間以上遅れることとなるのは止むをえないところであつて、恐らく列車が第一閉そく信号機を通過するには間にあわなかつたであろう(列車が発煙筒設置場所を通過するには間にあつたであろうが)。従つて、その論理的帰結として、列車が本件踏切上でバス(もちろん乗客退避後の空車となつたもの)に衝突することは避けることができなかつたということになろう。しかし、原判決は、過失往来危険の訴因につき無罪としているのであるから、原判決の論理は一貫しているものというべきである。

原判決には、所論の理由のくいちがいはなく、論旨は理由がない。

第四  控訴趣意第四点、一は事実誤認を主張し、原判決は、被告人において、乗客が被告人に続いて下車し、退避してくれるものと軽信し、乗降口を開いて一部の乗客に声をかけて避難を促したが、乗客が退避するのを確認せずに、あわてて踏切支障報知機の押ボタンを押すためにバスから離れ、乗客全員を踏切外に誘導避難させなかつた過失がある旨認定判示しているけれども、被告人は、非常ボタンを押しに行く前にバスの車内で乗客に対し二度にわたつて大声で「だめだから、降りてくれ。」とどなり、非常ボタンを押した後に、又乗降口へ戻り、さらに乗客に下車を指示したのであるから、被告人に過失はなく、右は事実を誤認したものであるというのである。

よつて、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、原判決挙示の証拠によれば、被告人は、踏切から自車を脱出させることが不可能であると判断した時点で、運転席から、自車内最前部の座席にいるごく少数の乗客に聞こえる程度の小声で「降りてくれ。」といつた程度で、乗客になんら事態の緊急を告げる動作をしないまま、非常用押ボタンを押すためバスを離れたことが認められる。右認定に反する被告人の原審および当審公判廷における各供述は、他の関係証拠と対比して措信することができない。

原判決は、右の点を過失としてとらえているのであつて、被告人がボタンを押してバスへ戻つてから後に、乗客の避難誘導につとめたことは、原判決も認めるところである。

所論は、乗客が、被告人の下車を促す声を聞きもらしたとしても、踏切上でバスが二、三回前進後退をくり返したのちに運転手が下車したのであるから、乗客自身が危険を察知して速かな行動に移るべきであるというが、バス乗務員としてすべての乗客にかような行動まで期待することはできない。

なお、本件程度の広さのバス車内では、大声で下車すべき旨周知徹底させれば足り、必ずしも運転席のマイクロフオンを使用する必要はないと思われるが、原判決は、被告人がマイクロフオンを用いなかつたことを過失としているものではない。また、原判決は、被告人が非常口や車体中央部の扉を開けなかつたことを過失としてとらえているものでないことも、判文上明らかである。

所論は、乗客の一人である井部正吾が、バスを一旦降車し、二、三歩行つたところで引返し、バス内に置いて来た鞄、傘をとるため、乗降口のステツプに上り、車内に残つていた乗客に鞄、傘をとつてくれるよう頼んだ事実があり、これが降りようとしている乗客の動きを著しく阻害したという。井部正吾に所論のような行動があつたことは証拠により認められるけれども、同人は当時現職の小学校長であり、もし、同人が事態の緊迫を察知していたとすれば、到底かような愚かな行動をとつたとは考えられず、これまた、被告人において、事態の緊急を乗客に周知徹底させる努力に十分でない点があつたことによるものと推認される。井部の右のような行動があつたとしても、被告人の過失と結果との間の因果関係を否定する根拠とはなりえない。

原判決には所論指摘の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

第五  控訴趣意第四点、二は、事実誤認を主張し、原審で取り調べた各証拠に照らして、被告人が本件踏切の非常ボタンを押してから後に、踏切の警報機が鳴り出したことが明らかであり、そうだとすれば、被告人車に衝突した下り列車運転の機関士伝正芳は、下り第一閉そく信号機を見落したことになり、従つて、同人に過失があることが明らかであるのに、右過失を認定しなかつた原判決は、事実を誤認したものであるというのである。

よつて、記録を調査して検討すると、本件善福寺踏切の踏切保安設備として、本件踏切より上り方向約七六六メートルの地点に、下り第一始動点が設置されてあり、下り列車がここにさしかかると、踏切警報機が鳴動を始めること、本件踏切より上り方向約七三〇メートルの地点に、下り第一閉そく信号機が設置されてあり、踏切支障報知装置操作器(非常用押ボタン)を押すと、右信号機が赤現示となること、伝機関士運転の下り列車は、右下り第一始動点および下り第一閉そく信号機の付近において時速約六七キロメートルで進行していたことが証拠上認められるから、右場所付近で急制動すれば、列車は本件踏切より手前で安全に停止することができたことは明らかである。ところで、本件バスの乗客であつた原審証人高橋収の供述、同乗客高頭和江、長谷川茂子、本件バスの後続車に乗つていた小林一徳(二通)、田中幸雄、本件踏切付近に立つていた小、中学生浅井千恵子、浅井弘子、米山加津子、大谷百合子、大塚まさ子、長谷川好美、内山美代香の検察官または司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人が非常用押ボタンを押してから後に、警報機が鳴り始めたことが認められ、ことに小林一徳、田中幸雄、浅井千恵子、大谷百合子、大塚まさ子、内山美代香の検察官または司法警察員に対する各供述調書によると、被告人が非常用押ボタンを押してから、警報機が鳴り出すまで、約二秒ないし三秒経過したものと推認することができる。してみると、原審証人伝正芳の供述のうち、同人が本件踏切の手前約九二八メートルの地点で、下り第一閉そく信号機が青現示であることを機関助手との間で喚呼により確認しあつたという点は、そのまま措信しうるとしても、下り第一閉そく信号機の現示が、運転席からみた死角に入り、見えなくなる最終地点である、本件踏切の手前約七七四メートルの地点まで、右信号機の青現示を確認し続けたという点については、疑をさし挾む余地がある。原判決も、これら証拠に基いて、伝機関士に第一閉そく信号機を見落した疑いがある旨判示しているのである。しかし、伝機関士に過失があるか否かは、被告人の過失の有無とは別のことがらであつて、判決において必ずしも伝機関士の過失の有無を確定しなければならないものではない。

そして、仮に伝機関士に過失があるとしても、降雪という悪条件の下では、右は予想外の過失とはいえず、いわんや同人に故意がないことは明らかであつて、同人の行為が、被告人の過失と結果との間の因果関係を否定すべき理由とはなりえない。

また、踏切上の積雪を放置したことが国鉄当局の怠慢ということはできても、これが被告人の過失を否定する根拠とはならない。なお、所論のうち、自動列車停止装置の技術的欠陥をいう点は、これを認めるに足る根拠がない。

原判決には、所論指摘の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

以上のとおり、控訴趣意はすべて理由がないから、控訴趣意第一点中で訴訟費用負担の裁判に対して不服を申し立てる部分は、その前提を欠き、適法な控訴理由に当らない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文により被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引紳郎 藤野豊 三好清一)

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